簡単なプラモデルも作れないのに革職人になった理由。

こんにちは。
DUBMAGIC飯塚と申します。
私は新潟県上越市出身、現在は東京都台東区合羽橋で革製品中心に製作しインターネットで商品を製作・販売しています。
はじめに、私が革製品を作る仕事を始めたきっかけについて書きたいと思います。

2003年に10年ちょっと勤務した飲料系企業を退職して現在の仕事を始めました。当時33歳で現在51歳です。
その時私は長野県長野市の会社員で営業企画的な仕事をしていました。
入社して9年間は営業でした。
会社は外資ブランドのコーラ飲料を中心に国内で製造販売する会社で、入社時は長野市の会社に小さいながらも工場がありました。
私がいた会社は長野県と新潟県をテリトリーとする地域ボトラーという位置づけで、私は長野県内で何か所か転勤も経験しました。
入社して6年目位でしょうか、その頃は長野県の南側にある飯田市で小さい営業所の所長をしていたんですが、上司から緊急会議の招集がありました。
大手ビールメーカーが大元のコーラの国内販売権を持つ事になったと。
その後色々あり、私がいた会社は国内大手ビールメーカーのグループ企業になり販売会社になりました。

私自身も飯田市で3年半勤務後、その2年間ビールメーカー直系の飲料メーカーに出向し県内のスーパーやドラッグストアを回って販促活動や受注活動をしていました。
車の移動が長いとついつい考え事をしてしまいます。
その企業は株式非上場の巨大なオーナー企業で地方の中小企業にいた私にとってはその存在が巨大であるとともに自分の存在がより小さく感じました。
色々考えた中で、
「販売のみより製造・販売する事が利益・やりがいとして重要なのではないか?」
「創業者になる事によるメリットは計り知れない。」
この2点についてよく考えていました。

私が当時働いていた会社は「販売担当の会社」なので売る事が仕事です。
営業職に「予算」はつきものです。
天から舞い降りる予算に向かって日々数字を作っていきます。
当時、思っていたのは、
「今でさえキツい予算なのに5年後10年後はどうなっちゃうんだろう?」
という事ばかりです。
今思えば、新しい道を探そうとしていたんだと思います。

趣味を仕事にして痛感したこと。

私は入社3年目の25歳の時、ある副業をしていました。
結局は転勤の内示があり1年もやっていなかったんですが…。
高校生の頃に好きになったHIP HOPのレコードを長野市ではあまり手に入れることができなかったので、自分でレコード屋を始めることにしました。
当時結婚していたので奥さんがやる事にして、私はそのサポートをすると。
会社には「農家の家はその手伝いもするんだから、これはうちの家業です。」と言って上司に話しました。
最初は無店舗営業で仕入れたレコードのリストを作って市内の楽器店などに置かせてもらって長野市内配達無料の通信販売をしていました。
ピザのデリバリーと同じ様な感じです。
でも中々売上が伸びない中、長野駅前のフリーマーケットに出店してみたら
当時会員だった方がたくさん来てくれて売上も上がりました。
やっぱり店舗があった方が良いねという事になり、長野駅前に6坪ほどの小さな店舗を持つことになりました。

駅前、しんまんりょ小路入口の雑居ビル2Fにある元小料理屋の居抜き物件を月6万円の家賃で借りて平日は20時から23時まで土日は昼12時から夜23時までの夜型営業店でレコードを売りながらランチやお酒も出していました。
ビルの周りのお店はカラオケスナックや居酒屋等でかなり異質な存在です。
昼間普通に働いて、しかも当時は3tトラックに乗って自販機の補充業務をやってので体力的にも今思うと良くやってたなぁと思います。
料理関係は奥さんに任せてましたが、彼女も昼間はパートに行っていたので大変だったと思います。
副業とは言えあれだけ好きだったレコード屋を始め、しばらくすると自分の中でレコードに対する価値が薄まっていく感覚がありました。
私が高校生まで育った新潟県上越市では輸入レコードを日常的に買うことは不可能で、自分で欲しいレコードリストを作ってバイトでお金を貯めて渋谷で買っていました。
週に2回入荷するレコードは心がときめきましたが、どこか自分の中に距離が生まれた気がします。
同じレコードを扱っているので、東京との価格差や品揃え等にも悩みました。
あとは単純に新譜レコードの利益率の低さです。

結局飯田への転勤内示があり、1年経たずに店を閉めましたが内心ホッとした部分もあります。
自分の趣味と実益を兼ねて安易に始めたレコード居酒屋&食堂は幕を閉じました。
よく「自分が好きな事を仕事にすると良い」と聞きますが、私は上手くいきませんでした。
あんなに好きだったのに商売となると見方が変わってしまうんです。
この経験もあり、次にどんな仕事をしたら良いのかを営業の車の中で運転しながら考えていました。

自分が一生をかけてできる仕事を探す


私が当時働いていた会社に就職したのは学生時代にアメリカに旅行に行った時にカルチャーショックを受けたからでした。
日本では赤いコーラが寡占的にシェアを持っていましたがアメリカでは青いコーラも台頭していました。
その光景を見てショックを受けたと同時に輝いて見えました。
その勢いのまま就職活動した訳です。
今思えば就”職”ではなく就”社”だったなぁと。

次の仕事を考えるにあたって自分の中に置いたポイントがあります。
・経験を積めば歳をとっても自分の価値が上がるような仕事をする。
 (定年で会社の肩書が外れたら相手にされなくなる人を何人も見たため)
・個人で製造と販売を一貫して行えること
 (仕入れて販売するモデルは規模や価格競争に巻き込まれやすいので、ほかにない価値を生み出したかった)
・扱う素材に高級感と価値を見いだせる事
・省スペースで始められること
個人で起業するにあたって一人でやると決めていました。何の根拠かわかりませんが2002年頃に「これからは個人の時代がやってくる」と思い、自分が世間に対して何を提案できるか?ということに強い興味を抱いていました。
素材として木材や金属を素材にした場合に加工に場所もとるし設備も大変そう、布は扱いやすいが競合も多く私では太刀打ちできそうにない。

そこで革という素材に注目したわけです。
よく「趣味が高じて革の仕事を始めたんですか?」と聞かれますが自分の仕事として客観的に選びました。
今ではレザークラフトとして結構一般的になってきましたが、当時はそうでもなく一部のバイカーやウエスタン好きの方、あとは工芸的な趣味としてカービングをしている方がちらほら程度です。
私自身、自分が使っている財布が本革なのか合皮なのかも分からない程度の知識でした。

つづく

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